Home > IVY Social School > Volume 1 [Part2]


堀野:資金提供の話に限りませんが、企業は意思決定のスピードが早い。

 

特にユニクロのCSR活動はスピーディですが、震災への対応ということで特にスピードアップしてきたのか、いつもこのようなスピードでやっているのか。どうなんでしょうか。

 

シェルバ:ユニクロは小売業ですから、お客様からのダイレクトな反応にすぐに応えていく、ということを本業でやっています。市場というのは暴力的で、即断、即決、即実行とよく社長がいうのですが、スピード感のある経営じゃないと生き残れない。

 

CSR活動も、本業と同じです。戦略を立てて事業計画を作り、投資対効果ということで、投資をしてどれだけ効果があるのか、それも社会に対する効果と我々企業のメリットとの両軸で組み立てるということをしています。おのずと結果をどう出すかを考えたプランになり、そのために即断、即決が必要になってくる。

企業としてそういった風土があると思います。

 

堀野:ユニクロの復興応援プロジェクトですが、3年間の事業として実施されています。緊急支援から複数年の継続支援への移行判断は、どのようにされたのでしょうか。

 

シェルバ:去年の年末から、支援活動の次のフェーズはどうしていこうかとIVYをはじめとするパートナー団体と相談してきました。どうも被災地の様子も変わってきて、支援依存みたいなことも問題視され始めているし、現地の小さな衣料品店も復興し始めていて衣料支援のフェーズも終わりではないかと考えていました。

 

一方で、今までユニクロが出店していなかった三陸沿岸部で、おじいちゃんおばあちゃんたちから、「ユニクロって知らなかったけど暖かいしこの服いいよね。出店とかしないの?」という話を頂いたり、地元経済をどう立て直すかという話も出てくる中で、次に出来る支援は何だろうかと。それは,私たちの商売を通じて出来ることではないかということで、仮設店舗をオープンさせようと考えました。社長の柳井も同じことを考えていて「やるならいい店を作れ」と。

 

それで釜石と気仙沼に仮設を2店舗建てることに決まりました。社内でプロジェクトチームを立ち上げ、採算性や雇用創出について検討し、地元の市役所にも協力してもらって物件を探しました。2ヶ月ぐらいのタームで準備をして、オープンに漕ぎ着けました。

 

ただし、仮設店舗をどんどん出せるわけではないし、これだけでは雇用もたくさんは生み出せない。そこで、地域に根差して活動しているNGOを通じての支援も行なっていこうということで、IVYを含む5団体と3年間というプロセスでの協働プロジェクトを始めることにしました。

 

堀野:安達さんから、今のIVYの震災支援活動について簡単に紹介してもらえますか?

 

安達:今年、特に重点的に行なっているのは、保育園の支援です。気仙沼市は保育園の2割が震災で潰れているんですね。それで保育環境が悪化していて女性たちが働けない。また、保育園を再建したいという声もあるが資金がない。そこで、今2つの保育園の支援をしていて,12月22日には3つ目がオープンします。これらの保育園の人件費を軌道に乗るまで支援させて頂いています。

 

また、被災地のNPO立ち上げも支援しています。「キャッシュ・フォー・ワーク」で雇用していた人たちが立ち上げた、気仙沼のTree Seedと石巻の一期一会という団体があるのですが,助成金に頼らないビジネス型NPOとして成り立たせるために経営面の支援を行なっています。

 

もう一つは、原発事故が原因で、福島から避難している母子支援です。福島から避難している家庭の子どもたちを対象にした保育園を山形市で運営しています。

 

堀野:ここからは、もっと根本的な質問をしていきたいと思います。

 

参加者から、CSR事業を行うことは、企業にとってどんなメリットがあるのか、それはどのように重要なのかという質問を頂いています。シェルバさんにお伺いしますが、ユニクロは社会貢献やCSRのメリットをどのように考えていますか?

 

シェルバ:ユニクロでは、2001年に社会貢献室と言って、CSR部の前身である部署が立ち上がりました。それがCSR元年です。その当時ユニクロではフリースのブームがあって、山口県の中小企業だった会社が東京に進出した。会社が大きくなってきて、設けた利益は社会に還元していかなければならない、という社会からの要請があった。それに従ってCSRを始めた経緯があるので大きな戦略があったわけではなかったんですね。

 

それが大きく変わったのが2005年。持ち株会社化へ移行して、ファーストリテーリンググループとしてグローバルにビジネスを展開していこうという時期です。その当時、トップの柳井は海外の政府高官や要人に会うことも多かったのですが、単に服を売っている会社だとたくさんあるし、それだけではなかなか海外では歓迎されないことに気付いたのです。

 

「あなたたちは何者ですか」と海外に行くたびに必ず聞かれる。その時に、私たちの会社は害をなさない存在ですよと理解してもらわないといけないし、商売をしていくためには、その地域に愛されて信頼される企業にならなければならない、という大きな気づきがあったわけです。

 

地域の人たちに私たちの企業姿勢を表すという意味で、CSRは武器になる。単なる社会貢献ではなく、未来の社会、持続可能な社会への投資であり、それが私たちの会社が持続的に成長していくための武器にもなる。これは企業戦略としてしっかりやるべきだということで大きく舵が切られて、CSRを大きく推進していく体制になった。企業戦略、経営戦略になったということです。

 

堀野:ユニクロにとって、海外に出て行くことがCSRを積極的にやっていく大きなきっかけになったというわけですね。そう考えると、日本経済が海外へ市場を求める流れの中で、CSRを強化していく会社が多くなっていくということでしょう。

 

そのCSRのパートナーとして、企業がNGOを注目していると思うのですが、安達さんはどのように感じていますか?

 

安達:最近は内需が頭打ちになっていて、多くの企業が新興国に出て行こうとしている。それでCSRに力を入れている企業も増えているように思います。

 

ただこれまでパートナーとして考えられていたのは、NGOではなく、ユニセフとか国連のWFPとかネームバリューのある団体でした。そういうところと組んだ方が消費者にとってわかりやすいし、企業価値が上がりやすいと考えていたわけです。なので、日本企業にとってNGOはまだまだ新しいパートナーだと思います。

 

今回の震災をきっかけとして、日本のNGOも意外にやるじゃないかということが、ちょっと分かってもらえたのではないかと考えています。企業のパートナーが多様化していく傾向は良い流れだなと思っています。

 

堀野:震災後、企業からのアプローチは増えていますか?

 

安達:私たちは相変わらず地方の一団体なので、急激に増えているということはないですが、変化は感じますね。これまでは、こちらからラブコールを送っても門前払いみたいなところがあったのですが、今は企業のCSR担当者が、ネットで私たちを見つけてきてコンタクトを取ってくる、というパターンが多いです。基本的なことですが、ホームページを充実させるとか、報告書を掲載しておくとか、企業が探しやすいようにしておくのは、大事なポイントだと感じています。